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「ダンスと私」

 第1話 作・佐藤 亜紀

私が踊りを始めたのは、3才の時です。  3才ですから、もちろん私の意思で始めた訳ではありません。  2000gという未熟児で生まれた私は、身体がたいへんに弱く、3才になっても、  商店だった私の家から、大人のアシだと5分くらいで行けるデパートまで歩いて行  けないくらい足が弱かったのです。  ですから、しょっちゅう病院の小児科につれて行かれ、診察を受けたり、注射をさ  れたりで、小児科の待合室は私の子供部屋のようなものでした。  それで、3才になった時、小児科の吉田先生の「身体を強くするために何か運動を  させてはどうでしょう」というアドバイスもあって、家の近所でダンスを教えてい  る所があるというので、母親が私をつれて行ったのでした。  当時はまだジャズダンスなんてものは、あんまり知られていませんでしたし、バレ  エだって少女マンガの中のお話で、幼稚園や小学校で「私、バレエやっているの」  というのは、たいていどこかのお嬢様で(おぼっちゃまがバレエをやることは、ま  ずありませんでした。もし そういうおぼっちゃまがいたら「やーい!男のくせに  タイツはいてんのか」とか言ってからかわれるのです)一種のあこがれをもたれた  ものです。現に小学生になって同級生でダンスをやっていたのは、一商店の娘で身  体の弱かった私と、同じクラスのるりちゃんと、となりのクラスのなゆりちゃんだ  けで(なゆりちゃんですよ!)なゆりちゃんはお母さんがバレエの先生で、しかも  美少女だったので、なんだか少女マンガの主人公みたいでした。  話しがちょっと横道にそれましたが、そうゆう訳で母がわたしをつれて行ったのは、  幼稚園のおゆうぎが、チョッと進化したような児童舞踊のお教室だったのです。  お稽古場も、剣道場を間借りしていて、今のなんとかダンススタジオとかフィット  ネスクラブとかみたいな立派なバーや鏡はありませんでした。  そして、そこで児童舞踊を教えていたのが、私の一番始めの先生、H先生です。  H先生のクラスはたとえばこんな具合でした。先生はまず、きれいな音楽をかけます。  そして、「さあ、みんな、今日はチョウチョさんになりましょう」  チョウチョさんを想いうかべます。  「チョウチョさんは、ネンネしてますよ」  横になって、チョウチョさんの気持ちでネンネします。  「朝になりました。チョウチョさんおはようー!」  チョウチョさんは起き上がって、あくびをしたりします。  「さあ、元気に飛びましょう」  羽(手)をひろげて、飛びまわります。  「今日はどこに行こうかナ?」  ゆうえんち!動物園!…  10人くらいの小さなチョウチョさんたちは口々に言いながら飛びます。  「あ、きれいなお花畑に来ました。お花にとまりましょー!」  きれいなお花を想いうかべて、チョウチョさんのポーズで、お花にとまります。  「あー、お腹が空いた。みんなお弁当を食べましょう」  何もない空間に、おにぎりや玉子焼きを想いうかべて、チョウチョさんはごはんを  食べます。  パクパク、モグモグ…  「お腹がいっぱいになりました。さあ、おうちに帰りましょう」  再び羽をひろげて、おうちに帰ります。   身体が弱く、ひっこみじあんだった私ですが、H先生のおかげで、毎週2回の、この  3才児クラスがとても楽しみでした。そして、家にいるときや外で遊んでいるとき、  ラジオやテレビから音楽が聞こえると(それがクラシックでも歌謡曲でもなんでも)  からだを動かしてつい踊ってしまうようになりました。  H先生のクラスでは毎回いろんなにものに変身したり、いろんな場所へ行ったりしま  した。  小さな3才の女の子が想像するだけで、チョウチョさんや子犬や小鳥やお姫さまにな  って、剣道場のお稽古場がお花畑や雲の上や海になるのです。  こうして、私の のちに想像が創造に変化する踊りの旅が始まったのでした。

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