「ダンスと私」
第2話 作・佐藤 亜紀
私が始めて舞台に立ったのは3才の時です。 3才で踊りを始めて、すぐに発表会があったのです。 演目は「カモメの水兵さん」と「アヒルのスリッパ」でした。 「カモメの水兵さん」の振付は今でも踊れます。 本番当日、私は虫歯が痛くて、舞台のそでで泣いていました。 私があまり痛がって泣くので、先生は母に「アキちゃん、 今日の舞台は あきらめましょうね」と言われたそうです。 なにしろ3才の幼児ですから、母もしょうがないな、 と思っていました。いよいよ私の出番になって 「カモメの水兵さん」の音樂が聞こえはじめたとたんに、 ピタッと泣き止んで、舞台の上に走り出て、ニコニコしながら踊り、 終ってそでに戻って来てから、また泣きだしたそうです。 「三ツ児の魂」と言いますが、実は今でも同じような事がよくあります。 ダンサーというの は、身体の痛みと戦いながらというか、痛みと共に生き てゆくものですが、まともに歩けないほど足が痛い時でも本番になると、 ピタリと痛みがなくなり、終ると思いだしたように痛 みが戻ってくるのです。 医学的にみると脳の中の(が作る)ドーパーミンだかアドレナリンだか、 ある種の麻薬物質によって痛みを感じなくなるのでしょうが、3才の初舞台以来、 そういう体質になってしまったようです。そういうわけで、無事初舞台を終えて、 その数ヶ月後には初の旅公演も経験しました。 いろんな児童舞踊の団体が集まって公演をする合同発表会で、列車に乗って、 先生やお友だちと公演先まで行きました。公演には出演者だけでなく、照明や音 響、舞台監督などの裏方さんたちも参加するのですが、照明のおじさん(もしか したら、お兄さんだったかもしれません。3才だったので、大人はみんなおじさ んに見えました)に、とてもかわいがってもらい「アキちゃん、お年はいくつで すか?」と、きかれて、おばあちゃんに教えられたとうり「満の3つの数えの5 つでごじゃりましゅ」と言ったという話を先日聞かされました。旅公演のあとは 野外公演もありました。4月に近くの川原で「つくしの坊や」を踊りました。 初のストリートパフォーマンスです!緑の衣裳につくしのような縦長の帽子をか ぶって、草むらの中でチョコリンと立っている写真は、今も古いアルバムに残っ ています。 こうして3才で始まった私の舞台生活は、この先もずっと続くことになります。